ガラス玉の人生

【連載】人で見つけるガラス玉の人生「私が脇役でお前が主役みたいなもんだから」
あまご三昧 藤澤康良さん、美津江さん

「宝石の人生ではなく、ガラス玉を探して旅に出よう」デンマークにはこんな歌があります。誰もを魅了する宝石はもちろん素晴らしいですが、ガラス玉も一つ一つ個性的な魅力を持っていて愛くるしい。私たちの人生も同じ。どれ一つとっても同じ輝きはありません。まさにガラス玉の輝きなんだろうと思います。人文学研究者であり高松市塩江町の地域おこし協力隊でもある村山淳さんは、そんな輝きを求めて里山で働く「人」を綴っていきます。一人一人個性的に輝くガラス玉の人生。そこに目を向けると、きっと価値観の幅を拡げる出会いがあるのだと思います。

 

営むのは、塩江の生き字引/苦難の連続に涙を飲む日々/リピーターを唸らせる味に辿り着くまで/唯一の楽しい思い出/営みを積み上げるということ

 

営むのは、塩江の生き字引

塩江のさらに山深く、上西にひっそりと営業している定食屋がある。美しい風景の谷にせり出すように建っている「あまご三昧」である。創業29年になるこの定食屋は藤澤康良さん、美津江さん夫妻がアマゴ養殖場と合わせて長年経営してきたお店だ。昭和48年(1973年)に一村一品運動の先駆けとして塩江町(当時は独立町)役場の方針で始まったアマゴ養殖は40年以上経ったいまも続いている。経営者の康良さんは御年82歳。塩江で生まれ、塩江で暮らしてきた生き字引のような人だ。ゆっくりととても丁寧に理路整然とお話をされる方だった。

 

 

苦難の連続に涙を飲む日々

漁業組合を作り、国の補助金を得て建てられた養殖場はことの始めから苦難の連続だったそうだ。建築中に起きた第一次オイルショックの影響で生け簀に使うセメントが手に入らず、稚魚の段取りがついたのに、設備が完成していない事態に陥った。知己を頼ってなんとか間に合ったものの、養殖が始まってからも大変なことだらけだった。「笑えるほど儲けた話はひとっつもないが、涙を呑んだことはたくさんある」 康良さんはカラッとした笑顔でそう語った。特に夏場は苦労の連続で、水温があがり魚は活発になるのに、水不足で十分な給水ができないために死なせてしまったこともあれば、台風で給水口が壊れ、死なせてしまったこともあるそうだ。同じマス科のギンザケを養殖しようとカナダから卵を輸入した際には、卵についていたウイルス性の病気がアマゴに広がり、壊滅してしまった。販路開拓は町役場が一手に引き受けてくれたから苦労こそなかったものの、卸先が倒産して売り上げ回収ができないという事態もあった。それでも往時は20万匹ものアマゴを養殖し、塩江温泉郷の旅館や飲食店に多くの魚を卸していたそうだ。

リピーターを唸らせる味に辿り着くまで

いま養殖に携わっているのは康良さん1人で、養殖数も2000匹前後となってしまったが、「あまご三昧」にはリピーターが多くいる。メニューはいたってシンプルで、アマゴの塩焼き、お刺身、唐揚げの3つを組み合わせだ。一番贅沢な「竜王山定食」は3つ全てがついている。注文を受けてから外の生け簀のアマゴを捌くので鮮度は抜群で、赤い斑点の色味も美しい。手際も見事なのもので、どこかで修行したのかと伺ったところ、「独学、見よう見まね」でやってきたそうだ。

 

 

地元の温泉ホテルの料理人のやり方を取り入れたり、美味しいお店のやり方を真似たり、で今の形に落ち着いた。主菜だけでなく、付け合せにもこだわりがある。お刺身につける薬味が生姜なのは、ワサビではアマゴの甘みが消えてしまうから。箸休めのお漬物は自家製の茄子の辛子漬けで、ツーンと鼻にくる風味が、味覚をリセットしてくれる。揚げ物の付け合せはマロニーをシシトウで束ねて揚げたもので、見た目も食感も楽しい。

唯一の楽しい思い出

お昼時、地元の人で賑わう店内で康良さんが思い出したようにおっしゃった。「楽しい思い出は憶えてないと言ったけども、ひとつあった。アマゴを食べてくれたお客さんが美味しいと言ってくれることだ。」平凡な幸せかもしれないが、40年の労苦の先にある言葉として重みがあった。

営みを積み上げるということ

帰り際にお二人の写真を撮らせていただいた。照れる美津江さんに、「私が脇役でお前が主役みたいなもんだから」と言っていた康良さんはそれまでとは少し違う、楽しそうな笑顔をしていらした。終始、静かに働いていらした美津江さんと康良さんが並んで調理場に向かっている姿は、なぜか胸をうつもので、思わずシャッターを切った。

インタビューの最中に康良さんは「年をとって世間に自分がなんの影響力もないと感じるのは辛いもんです。」とおっしゃっていた。しかし、一つの場所で営みを積み上げてきた康良さん、美津江さんご夫婦の姿はこれから塩江で営みを作っていこうとしている身に、とても温かく、眩しいものに映った。養殖場を作った際に植えたという木々はもう立派な大木になっていた。その木肌が康良さん、美津江さんご夫妻の顔に刻まれた皺に重なる。素直に美しいと思った。

(2018/6/2 村山淳)

 

 
村山淳さん(左)人文学者/高松市地域おこし協力隊
福島県いわき市生まれ。グラスゴー大学(スコットランド)に留学しスコットランドゲール語を学ぶ。一橋大学大学院言語社会研究科卒業後、妻の英里さん(右)と共に、地域おこし協力隊として高松市塩江地域に移住。コミュニティ支援活動の傍ら、歴史学、社会言語学の観点から言語とナショナリズム、マイノリティ形成などを研究している。時々、ハープ奏者、ゲール語民謡歌手。