ガラス玉の人生

連載「人で見つけるガラス玉の人生」
塩江町地域おこし協力隊 村山淳さん

「宝石の人生ではなく、ガラス玉を探して旅に出よう」デンマークにはこんな歌があります。誰もを魅了する宝石はもちろん素晴らしいですが、ガラス玉も一つ一つ個性的な魅力を持っていて愛くるしい。私たちの人生も同じ。どれ一つとっても同じ輝きはありません。まさにガラス玉の輝きなんだろうと思います。人文学研究者であり高松市塩江町の地域おこし協力隊でもある村山淳さんは、そんな輝きを求めて里山で働く「人」を綴っていきます。一人一人個性的に輝くガラス玉の人生。そこに目を向けると、きっと価値観の幅を拡げる出会いがあるのだと思います。

 

自分が理解できないことを、自分の知性の中に押し込まない大学を飛び出したヒューマニスト宝石ではなく、ガラス玉の人生


村山淳さん(左)人文学者/高松市地域おこし協力隊
福島県いわき市生まれ。グラスゴー大学(スコットランド)に留学しスコットランドゲール語を学ぶ。一橋大学大学院言語社会研究科卒業後、妻の英里さん(右)と共に、地域おこし協力隊として高松市塩江地域に移住。コミュニティ支援活動の傍ら、歴史学、社会言語学の観点から言語とナショナリズム、マイノリティ形成などを研究している。時々、ハープ奏者、ゲール語民謡歌手。

こんにちは。これからヒトデに高松市塩江町の「人」を紹介していく村山淳です。私は2017年の夏に高松市塩江町に地域おこし協力隊として着任しました。塩江町は高松市の南側、徳島県との県境に位置する山々の間にある町です。戦前は「高松の奥座敷」と呼ばれ、温泉観光地としてとても栄えていたそうです。現在は往時の賑わいがなくなり、閉館する温泉も多く、過疎地となってしまいました。それでも町の面積の多くを占める豊かな山林は健在で、四季折々、草木や鳥、動物たちが生活を取り囲む美しい場所です。高松市内へのアクセスもよく、高松空港からも近いので、田舎でありながら便利。私はとても気に入っています。これからこの塩江町に住む人たちのポートレイトを文章という形で掲載させてもらうのですが、その前に私の自己紹介を、「なぜ人を紹介するのか」という部分と合わせて書こうと思います。

 

自分が理解できないことを、自分の知性の中に押し込まない

私は福島県のいわき市出身で、18歳まで塩江町よりはるかに田舎、山奥の人口500人程度の村で育ちました。高校卒業後、先に東京で働いていた兄の家に(家事を全てやるという条件で)居候し、大学に。学部では西洋史学を専攻し、古代ローマ帝国史、特にブリテン島(イギリス)の「野蛮人」と呼ばれた人々とローマの関わりについて勉強しました。その後、その「野蛮人」たちの言語だったゲール語に興味を持ってしまい、スコットランドへ留学、2000年近く口伝で伝承され、変化してきた言語を大学で学ぶという刺激的な体験をしました。帰国後は大学院へ進学、NPOでゲール語の教師をしつつ、英米文学、特にファンタジーとサイエンス・フィクションの研究で学位をいただきました。(なぜ歴史からファンタジーやSFに飛んだのかはながーくなるので、割愛します(笑))大学、大学院で多くの知に接するに際して私が大切にしていた視点は「ある知識を自分の理解できる範囲に押し込めないこと」です。人は普通、自分の全く理解できない、理解しにくいことに出会った時、それを拒絶するか、理解できることに置き換えて理解しようとします。(比喩表現を想像してみてください。)この置き換えの知性、それ自体はとても有用ですし、学ぶことの楽しさでもあります。しかし、置き換えをしすぎると、今自分が持っている知性の枠を超えることができなくなってしまい、逆に学ぶことの意味も、楽しさも奪ってしまうことがあるのを、私は経験から学んでいました。置き換えは、あくまで新しい知識に飛び移るためのジャンプ台でなければならない。これが私の大切にした視点でした。

塩江のご自宅にて

大学を飛び出したヒューマニスト

大学で学ぶという経験は私という魚にとって、水を得る経験で、ありとあらゆる知識をぐんぐんと吸収し、知性へと変化させる、喜びに満ちた時間でした。しかし、そんな私にとって常に悩みの種だったのは「社会」との関わりです。よく大学を卒業する人に向かって「社会に出る」と言ったり、就職することを「社会人になる」と言ったりしますが、私にはこの表現の意味がよくわかりませんでした。実は今もわかりません。大学というのは間違いなく社会の一部を構成している重要な教育組織ですから、大学は社会の外にあるものではありません。「自分でお金を稼ぐ人」という意味で「社会人」を使うなら、昨今、多くの大学生は間違いなく、「社会人」です。(私は学費、生活費、留学費用のほとんどを自分で借りるか、稼いでいました。)しかし、実際の問題として、大学で学んだ多くの知見はいわゆる「社会」(大学の外)では「非実用的な知識」として疎んじられ、活躍の場を奪われているという実感がありました。「社会」による「大学」の疎外、あるいはその逆、ひいては過去の人々が積み重ねてきた知見の集積の一部が「社会」から切り離されてしまうこと、これがなぜ起きてしまうのか、そして私たちヒューマニストたちが持っている(実は社会にとって有効になりうる)知見をどのように社会に還元するのか、私はこのことに悩まされ続け、最終的に大学を離れる決意をしました。決して、大学の中ではこれに対する答えがでないとは、思っていません。人文学は科学であると同時にその基礎にあたるものであり、極めることにより、内在的に「社会」と「大学」の間の溝を埋めることができると、私は確信していますし、それに邁進している友人や師もたくさんいます。ただ私は、私の持っている知見が疎外されることで、翻って、私の外にあることになってしまう「社会」にジャンプすることにしてみようと思ったのです。

 

 

宝石ではなく、ガラス玉の人生

そんなこんなで、「地域おこし協力隊」として塩江町に赴任して、「社会」に身を置くことになりました。字義通りの百姓のような生活をしていますが、その中で最も力を入れていることが「他人の人生に耳を傾けること」です。私は「大学」から「社会」に飛び出したわけですが、大学にあふれている知識を濫用すれば、塩江で出会う人々のほとんどを類型化し、理解した気になることは可能ですし、私の頭はそのように働こうとします。しかし、それは最初に述べた通り「置き換え」の誤用です。だから私は、自分の培ってきた知性や言語能力を用いて、いろんな人の人生の語りを「文学」として残す努力をしてみようと考えました。

ある人の人生をオンリーワンであると言明することは容易ですが、それを表現することは容易ではありません。でもそれが為せれば、私は塩江という「社会」をよく知り、郷に入ることができますし、塩江に対する貢献にもなると思いました。そして実際に取材交渉をしたり、取材をしたりしてみると、思っていた以上に人々は興味深く、語る価値のある人たちだということを実感しました。彼ら/彼女らの人生に耳を傾け、子供が物語に自分を重ねるように、その人生の流れに自分の身を漂わせようと努力することで、とても魅力的な物語として塩江の人々の人生を感じ取ることができるようになりました。はじめはこのような取材を文学として小出しにするつもりはなく、ひとまず報告程度にとどめて、「いつか本にできたらいいな」と思っていたのですが、友人の勧めで、ブログ形式の人を紹介する記事を書くことになり、このヒトデにも記事を載せてもらえることになりました。私の好きなデンマークの歌に「宝石の人生ではなく、ガラス玉を探して旅に出よう」と嘯く歌があります。確かに貴重な宝石は人を魅了しますが、ガラス玉の輝きも同じように美しいものです。宝石にもガラス玉にも同じように心動かせる子供のような感性を唄い上げるこの歌は、今の私の心境にピタッと当てはまります。ヒトデのメイン記事と違って、私の記事は直接雇用には結びつかないものです。しかし、「ガラス玉の人生」を生きてきた人々の物語はきっとみなさんの人生の一部を七色にハイライトしてくれるはずです。そんな物語に心動かされながら、同時に自分の知識を飛び越えて未知に漕ぎ出すジャンプ台となるような記事を書けたらよいなと思っています。

(2017/5/8 村山淳)

第一話 「ゴルフじゃなくて、蕎麦の打ちっ放しやな」魚虎旅館 松岡耕一郎さん

第二話「私が脇役でお前が主役みたいなもんだから」あまご三昧  藤澤康良さん、美津江さん