コラム

ヒトデ履歴書「子供の頃に密かに抱いていた夢」
プラウド香川 高野晶さん 最終話

学歴や職歴だけでは分からないその人だけの物語。それをお伝えするのがヒトデ履歴書です。誰と出会って、どんな時間を過ごしてきたのか。「出会い」と「仕事」の間にあるその人だけの物語を読み終えたあなたは、一緒に働く人の大切さに触れられるかもしれません。

ヒトデ履歴書一人目は、香川県高松市でセクシュアルマイノリティ支援を行なっているプラウド香川の高野晶さん。いよいよ最終話の今回は、高野さんの現在の仕事との出会いやご自身の夢について綴っていただきました。

 


高野 晶(タカノ アキ)さん
セクシュアルマイノリティ(性的少数者)のサポートグループ「プラウド香川」副代表
ニューハーフのクラブやデザイン事務所など、様々な仕事を経験し、現在はエステティシャン、ビューティーカウンセラーとして働く。仕事の傍ら、セクシュアルマイノリティの理解を深めるための講演を、自治体や教育機関・企業向けに10年以上実施している。

 

女性として働くということ「よく話してくれたね。ありがとう」長く続けられた秘訣とは?人生と自分らしさ

 

女性として働くということ

前回紹介したハローワークとのいざこざの後、やっと就職活動を再開させることが出来た私に、美容系の形成外科のエステティシャンという仕事の紹介がありました。そこに通う母の友人からでした。「エステティシャンのチーフに話をしてみたら、話を聞いてくれるって言ってるの。話だけでも聞きにに行ってみたら?」と言われました。私は本当に話を聞きに行くだけのつもりでそのチーフに会いに行ったのですが、その流れのまま院長とも面接することになり、すぐにそこで働くことになったのです。

それから、そこで働き続けて14年も経ちます。「どんな感じで働きたい?」「制服はパンツにする?スカートにする?」そんなレベルから始まった職場ですが、今ではもちろん更衣室も一緒ですし、お客様にもスタッフにも女性として見られています。私が途中でカミングアウトすると、驚かれるくらいです。女性ばかりの職場で、女性として働くことで「女の洗礼を受ける」ような人間関係についての新たな経験をすることもあり、大変な時期もありました。それも深く女性の性質を知る上では良い経験になったと思っています。

「よく話してくれたね。ありがとう」

長年の夢であった性別適合手術も終え(色々と大変だったのですが、あまりにも長くなるので割愛させていただきます。)、戸籍の性別も女性になりました。名前は晃(あきら)から晶(あき)に変更。もう堂々と保険証を出すことが出来ます。カードの支払いの時に「ご本人様ですか?」と聞かれることも、選挙投票の本人確認で戸惑われることもなくなりました。何より良かったのが、病院に何の抵抗もなく行けることです。昔は、保険証で本人確認をされるのが嫌で、しんどくても病院に行くのを我慢することがよくありました。結婚も出来るようになったのですよ♪(まだ相手はいませんけど?)

理解がある職場だったので、私が性別適合手術で長い間入院と自宅療養している時も、有休を使わせてもらうことが出来ました。手術費用は高額でしたので、そのことはとてもありがたかったのです。性別適合手術が大変なのは実は術後のケアなのですが、職場が病院で、しかも女性ばかりの職場であるというのがとても心強かったです。私が性別適合手術を受けられたのはエステティシャンを始めて5、6年経った頃です。その頃には、しっかりと信頼関係が出来たお客様もいて、そういう人には手術を受ける前に「実は私は……」と、カミングアウトしました。その時に「よく話してくれたね。ありがとう」と、言われることが多く、中には泣き始める人もいました。その時に、この仕事をやっていて良かった、と心から思いました。私が元気に戻ってきた時には、一緒に喜んでくれました。ここでもまた泣かれましたね。

長く続けられた秘訣とは?

私が長くこの仕事を続けて来られた理由として、自分の能力や自分が今までしてきたことを活かせる仕事であったこともありますが、人との縁に恵まれたことが大きいと思います。長く働いていると、辛いことだってあります。そんな時にもこの仕事をしながら、お客様と話すことで気が晴れていました。この仕事をしてなかったら、出会えなかった人たちもいます。新たに親友も出来ました。大人になってから出来る親友も貴重ですよね。プライベートでもお付き合いしたいと思えるお客様との出会いも沢山ありました。人との出会いで人生は変わっていくのです。

エステティシャンは人を美しくしていくことが仕事です。外面のケアだけでは本当に美しくはなれません。必ず外面に現れる原因が内面にあるのです。私はそれを見つけてケアしていくのがエステティシャンの本当の仕事だと思っています。内面のケアといった面では、今までの私の人生経験が大いに役立っています。辛い思いも沢山してきたからこそ、人の気持ちも理解出来るのです。今までの私の経験すべてを注げる仕事だと思っています。仕事でお客様のカウンセリングをしているうちに、これも活かせるかも知れないと思い、子供の頃から好きだった占いという分野も勉強し資格を取るまでになり、今では私の仕事の一つになっています。


エステティシャンになってからも前職の仕事仲間と一緒にランチすることも。

今の私は、エステティシャンの仕事がお休みの日にはLGBTの活動家として講師をしたり、占いカウンセリングをしたりと多忙な毎日を送っています。たまにですが、ビューティーカウンセラーとしてTVに出演することもあります。どれも人のためになっているという実感が出来る仕事です。そのことが仕事を長く続けられる秘訣かも知れません。デザインという仕事をしている時は、仕事自体は好きでしたが、人のためになっているという実感が、私の場合は少なかったのかも知れません。今の仕事は時間にはきっちりと終われるので、自分のために使う時間をちゃんと確保出来るというところも私に向いています。自分のための時間がなければ、今の様に色々な仕事をしている私はなかったと思います。そういうところも仕事を選ぶ時には大事した方が良いかも知れませんね。人生の時間をどの様に使うのか、何を優先させるのかを決めるのはとても大事なことです。

「心から好きなことをする時間」を増やしていくことが、人生の成功への近道なのだと私は思っています。「心地好い人と過ごす時間」を増やすということもとても大事なことです。私はまだまだやりたいことが沢山あります。人生を一気に駆け抜けてきた感じがしていますが、ふと気がつけばもう41歳!気持ちは変わらなくても、体力は低下している実感があります。そうなると、1日の活動時間が減ってきます。益々、健康管理と時間の管理をしっかりしていかないといけないな、と思っているところです。

人生と自分らしさ

人生というのは「本当の自分らしさ」を探していくものなのだと思います。複雑にしていくのではなく、シンプルに研ぎ澄ましていくこと。そうしないと、本当に自分がやりたいことも見失ってしまいます。何が好きなのか、何をしたいのか、は意外と簡単なところにあったりします。私は自分が邪念のない子供の頃にやってみたかったことをよく思い出してみます。それが、純粋に自分が幸せを感じたり、ワクワク感じたりすることだと思うからです。私は子供の頃、よく母の鏡台の前にいたそうです。その頃から美容に興味があったのですね。美容を極めるという夢は叶っています。そして、それは正解でした。「コックさんになりたい」とか「パン屋さんになりたい」とも言っていましたが、料理&パン教室に3年通って気が済みました。(笑)人生にはやってみないと分からないことも沢山あります。きっと、料理は好きな人のために作るのが楽しいのだと思います。「絵描きさんになりたい」という夢は、今でも絵を描きたいと思っているので、これから先に実現する可能性もなきにしもあらず。アート系の魂は今でも生きていますからね。そして、私が子供の頃に密かに抱いていた夢。「お嫁さんになること」です。好きな人のためにお料理して、空いている時間は絵を描いて過ごす(かなりマダム路線)。それまでに、今の私にしか出来ないことをやりきっておきたいと思っています。


着物を着る着ないで一悶着あった末に出席した結婚式では何の問題もなく笑顔の私。

高野 晶の「ヒトデ履歴書」。履歴書というには長すぎやしないか?という気もしますが、最後までお付き合いくださった人はありがとうございます。私の長い履歴書を読んで新しい気づきがあったり、「本当にしたいことって何だったかな?」「本当にやりたかったことを思い出した!」「本当にやりたかったことをやってみたい!」と、思っていただけたら幸いです。全部読むと、私がいかに「人」とのご縁に助けられてきたかがお分かりいただけるのではないかと思います。今ある「人」とのご縁に感謝しながら、また新しい「人」と、時には勇気を出して繋がっていってくださいね。ヒトデにそのご縁がある人もきっといることでしょう。私と、このコラムを今読んでいる「人」とを繋いでくださったヒトデの秋吉さんにも感謝します。それでは、また。私ともどこかで会えるかも知れませんね。その時は勇気を出して声をかけてもらえたら、嬉しいです。

高野 晶

8/26 ヒトデTALK「LGBTと働くを考える Part2」