コラム

ヒトデ履歴書「生まれた時の性別は男でした」
プラウド香川 高野晶さん

学歴や職歴だけでは分からないその人だけの物語。それをお伝えするのがヒトデ履歴書です。誰と出会って、どんな時間を過ごしてきたのか。「出会い」と「仕事」の間にあるその人だけの物語を読み終えたあなたは、一緒に働く人の大切さに触れられるかもしれません。

ヒトデ履歴書一人目は、香川県高松市でセクシュアルマイノリティ支援を行なっているプラウド香川の高野晶さん。男性として生まれ、現在は女性として活躍する高野さんに、「出会い」と「仕事」の間にある物語を綴っていただきました。


高野 晶(タカノ アキ)さん
セクシュアルマイノリティ(性的少数者)のサポートグループ「プラウド香川」副代表
ニューハーフのクラブやデザイン事務所など、様々な仕事を経験し、現在はエステティシャン、ビューティーカウンセラーとして働く。仕事の傍ら、セクシュアルマイノリティの理解を深めるための講演を、自治体や教育機関・企業向けに10年以上実施している。

私の名前は高野 晶です。

生まれた時の名前は晃(あきら)でした。一生のうちで戸籍の苗字が変わる人はいても、下の名前が変わる人は珍しいでしょう。実は、私はそれだけではありません。生まれた時の戸籍の性別は男性でしたが、今の私の戸籍の性別は女性なのです。私は男性として生まれましたが、今は女性として生きているトランスジェンダーです。性同一性障害と言った方が分かりやすいかも知れませんね。

現在、私は41歳。女性として美容系の形成外科医院でエステティシャンの仕事をして14年が経ちます。気がつけばもうキャリアウーマンと呼ばれそうな年月が経っています。自分らしく働き、自分の好きな仕事で人を癒し、美しくしていく。エステティシャンという仕事はなかなかハードな面もある仕事ですが、これほど長く続けてこられたのは、この仕事を通じて「人」との出会いに恵まれ、「人」のためになっているという自分の心の実感や喜びがあるからです。ただ、私は何も経験せずに初めからこの仕事に就いたのではありません。私がエステティシャンに転職したのは27歳の時。その時の私はまだ性別適合手術も受けられずに、戸籍の性別もまだ男性のままだったのです。そのために就職活動中は他の人がしないであろう苦労も沢山ありました。自分が本当はどんな仕事をしたいのか、どんな仕事が向いているのか、それもまだはっきりとは見えてなかったのです。それでも前に進まないことには自分らしい人生がずっと実現出来ない、ということがわかっていました。

「人」に悩まされ、「人」に助けられた

私は普段の仕事とは別にトランスジェンダー・性同一性障害の当事者として、香川県教育委員会の協力で学校や教育関係、香川県の行政機関、その他の企業、県外の大学などでも、多様な性についての理解を深めてもらうための講演をしています。それももう10年以上続けている私のライフワークです。昔の私の様に、誰にも言えずに一人で自分の性に悩み、思い詰めて自ら命を断つという選択肢が生まれないように、セクシュアルマイノリティのサポートを続けていきたいと思っています。特にまだ自分の生き方を自分で選択出来ない子供たちのサポートは必要です。

さて、このコラム、まさかの連作らしいです(笑)。私が今の仕事に就くまでのリアルをお伝えしていきます。きっと、私が一緒に働く「人」にいかに悩まされ、一緒に働く「人」にいかに助けられたかをお分りいただけると思います。こうした「人」との出会いが仕事に大きく影響することは、セクシュアルマイノリティだけの話ではありません。少しでも多くの方に「仕事」や「人」について深く考えるヒントを与えられる内容になると良いと思います。最後までお付き合いいただければ幸いです。高野 晶の「ヒトデ履歴書」スタートです。

第一話 「男性でもない女性でもないニューハーフとして働く」
第二話 「実は私、性同一性障害なんです」
第三話 「転職の一番の悩みは戸籍上の性でした」
最終話 「子供の頃に密かに抱いていた夢」